溢れかえっている

インプットばかりで頭がパンクしそう。

何かを得る、吸収するときにしっかり選り好みしていきたい。

選り好み という単語のチョイスはネガティブにきこえるかもしれないけど。


選り好み………“好み” なので、嫌いなものがあるわけで。

例えば、アプリのCM。無料で漫画が読める!とか、登録無料!とか、簡単フリマ!とか。なんかもう、うるさいなあ…っ!!ってなる。


贅沢なことではあるんだけど、最近いろんな分野でコンテンツが豊富で、無料で楽しめるものが(違法動画とか、グレーなものも含めて)たくさんある。

海外で流行った食べ物が日本に上陸!それを写真を撮ってネットにUPしよう。


うーん…


僕自身にも言えることなんだけど、コンテンツに対してお金を払うこと、そしてコンテンツを製作した人たちに敬意を払うこと、これができていない人が多すぎる。

偉そうなことを書いていると自覚はしています。


なんというか、最近みんな「一方的に与えてもらえること」に慣れすぎている気がする。

どうしても楽しいから、本人は自覚するの難しいと思うんだけど。

そして人それぞれに好みとか趣味があるから、「これは自分で選んだ」という感覚がある。それ自体は間違ってないと思う。


でも、なんというか「与えてもらえるリスト」の中から選んでるだけに感じる。

例えを思いついた。贈り物としてもよく利用されているカタログギフト。

「与えてもらえるリスト」=カタログギフトだ。カタログには流行りのアプリや、ファッション、食べ物、ライフスタイルに関する記事が掲載されていて、芸能人やモデルのかっこいい写真がたくさん。

ほんとうはカタログにばかり目線を落とさなくても、もっといろんなものが世の中には溢れているはずなのに。

簡単で、楽チンで、手軽で、飽きたらすぐ辞められるから。ついそっちに手を伸ばしてしまうのかな。与えてもらえることが当たり前になっている。



ぜんっぜん

粋じゃないなあ…

(全然をぜんっぜんって書くと気持ちのこもり具合が強くなる)


途中から他人に対する文句のようになってしまった。特定の誰かの悪口ではありません。

ただの愚痴です。


だけど、パンクしそうな頭の中を整理したいから、やっぱり僕は選り好みしたい。カタログの外の世界を見ていたい。

厨二病みたいなことを殴り書きしてしまった気分です。紙に書いてあるわけじゃないのに。(実際はスマホの画面に親指を激しく叩きつけてます!)



こんなひねくれ者だから、自分というものを持っていてそれがブレず、貫ける人を尊敬しています。ただただ憧れてしまう。




そんな憧れを抱かせてくれた、乃木坂46の伊藤万理華さんが年内でグループを卒業するそうで。

個性的なファッションや芸術センスを持っていて、異性ながら格好いいなあといつもワクワクしながら、雑誌やTVで見ていました。




変な文章になりましたが、彼女の卒業の知らせをtwitterで知り、ふと思いふけったことを感情的に書きました。

 

周りに流されないことの大切さを忘れないように。





ではでは!