浅く広くはダメなこと?

時々自問してしまいます。

一つのことにのめり込む人が、その道で段々と才能を開花させて、何か大きい事業を興したり、有名になったりする。

こういうサクセスストーリーはよく耳にする話ですし、それを描いた自伝書なんかも売られています。



罪悪感を感じるんですよね。

劣等感もありますし。

仕事においても浅く広くそれなりにこなすことはできても、一つの分野で集中的にレベルアップすることを目指さない。

趣味においてだって、浅く広く色々なものに手を出す。深くのめり込んでも一時的で飽きっぽい。


これはイケナイことなんだと、つい最近まで思っていました。(思うだけで改善しようともしてませんでしたけど)


でも最近気づきました。

“浅く広く” を極めるのもアリなんじゃないかな。

これが世間的に正解かどうかはわかりません。





それでも

自分の欠点だと思い込んでいたものを長所に置き換える、一つの個性として捉えられるようになれば、

また一歩、大人になったと自負してもいいかもしれませんね。






自分の背中を押してあげたい。











今回はこのへんで。


ではでは!



背中を押されたがり

押されたがりなんですよ。

いつも背中を押されたいと思ってます。


昔よりマシになったとはいえ、やっぱりまだまだ優柔不断なんだろうな。

何かを決断しないといけない場面で背中を押してもらいたい。


自分で決めることから逃げてるのか。

そうだと思います。でも、それだけではない気もします。

背中を押してもらいたいと思っている時点で、本当は自分の中でもう答えが出ているはずなんですよね。

でも、その解答欄を見るのが怖くて…

「誰か代わりにその欄に記入してくれ!そうしたら僕はそこに書かれた通りに行動するから…!!」って。

だから、逃げている理由は、優柔不断と恐怖。この二つなのかな。



自分自身をこんな風に分析できているだけ、まだ改善できる余地はあると信じています。

ブログをやっていなかったら、分析すらしてなかったかもしれない。


もし、誰かがこれを読んでくださって共感してもらえたなら、ちょっとずつ立ち向かってみましょう…と心の中で応援しています。





………

でも、自分で決断する勇気は確かに持つべきだけど、それだけではダメなのかな。

いざという時は誰かに相談できる柔軟さも併せ持つべきですよね。

この部分が一番足りていないところかも。


バランスが難しいですね。


ちょうどいい塩梅を見極めたい。









今回はこの辺りで。





ではでは!


省みて

今さっき更新した記事。語尾が安定してないですね。

途中からですます調になっている。

自分の話の時だけタメ口のような書き方だったから、違和感は少ないかな?

どうでしょうか…


そして設定がよくわかってないせいで、一部の文だけ文字が大きくなってしまいました。

直し方がわからないのでそのままにしておきます。


あともう一つ。

無料で楽しめるコンテンツを与えてもらえることが当たり前になっている

といったことを偉そうに指摘しちゃいましたが、このブログも無料で利用させてもらっているわけで。


なんかすいません。








以上、即座にひとり反省会でした。



ではでは!



溢れかえっている

インプットばかりで頭がパンクしそう。

何かを得る、吸収するときにしっかり選り好みしていきたい。

選り好み という単語のチョイスはネガティブにきこえるかもしれないけど。


選り好み………“好み” なので、嫌いなものがあるわけで。

例えば、アプリのCM。無料で漫画が読める!とか、登録無料!とか、簡単フリマ!とか。なんかもう、うるさいなあ…っ!!ってなる。


贅沢なことではあるんだけど、最近いろんな分野でコンテンツが豊富で、無料で楽しめるものが(違法動画とか、グレーなものも含めて)たくさんある。

海外で流行った食べ物が日本に上陸!それを写真を撮ってネットにUPしよう。


うーん…


僕自身にも言えることなんだけど、コンテンツに対してお金を払うこと、そしてコンテンツを製作した人たちに敬意を払うこと、これができていない人が多すぎる。

偉そうなことを書いていると自覚はしています。


なんというか、最近みんな「一方的に与えてもらえること」に慣れすぎている気がする。

どうしても楽しいから、本人は自覚するの難しいと思うんだけど。

そして人それぞれに好みとか趣味があるから、「これは自分で選んだ」という感覚がある。それ自体は間違ってないと思う。


でも、なんというか「与えてもらえるリスト」の中から選んでるだけに感じる。

例えを思いついた。贈り物としてもよく利用されているカタログギフト。

「与えてもらえるリスト」=カタログギフトだ。カタログには流行りのアプリや、ファッション、食べ物、ライフスタイルに関する記事が掲載されていて、芸能人やモデルのかっこいい写真がたくさん。

ほんとうはカタログにばかり目線を落とさなくても、もっといろんなものが世の中には溢れているはずなのに。

簡単で、楽チンで、手軽で、飽きたらすぐ辞められるから。ついそっちに手を伸ばしてしまうのかな。与えてもらえることが当たり前になっている。



ぜんっぜん

粋じゃないなあ…

(全然をぜんっぜんって書くと気持ちのこもり具合が強くなる)


途中から他人に対する文句のようになってしまった。特定の誰かの悪口ではありません。

ただの愚痴です。


だけど、パンクしそうな頭の中を整理したいから、やっぱり僕は選り好みしたい。カタログの外の世界を見ていたい。

厨二病みたいなことを殴り書きしてしまった気分です。紙に書いてあるわけじゃないのに。(実際はスマホの画面に親指を激しく叩きつけてます!)



こんなひねくれ者だから、自分というものを持っていてそれがブレず、貫ける人を尊敬しています。ただただ憧れてしまう。




そんな憧れを抱かせてくれた、乃木坂46の伊藤万理華さんが年内でグループを卒業するそうで。

個性的なファッションや芸術センスを持っていて、異性ながら格好いいなあといつもワクワクしながら、雑誌やTVで見ていました。




変な文章になりましたが、彼女の卒業の知らせをtwitterで知り、ふと思いふけったことを感情的に書きました。

 

周りに流されないことの大切さを忘れないように。





ではでは!


ホーダイ

「〜し放題」の放題がカタカナになるだけで、携帯電話の料金プランっぽくなりますよね。



はい。前回から約一カ月空いてしまいました。自分のためだけに書いているブログのつもりだから、不定期になってしまうことは自分で許しているんだけど、それでも空けすぎたなあ。と反省しています。


毎回そんなに文量も多くないのにね。

なんなんだ。

あれこれルールを課すと続かない性格なので、さっきの更新頻度もそうだし、文章のボリュームも自由ということにしています。


ただ、もう一つ反省するべき点は人に見られることを少しだけ意識するべきことかな。

自分のためだけに書いているとはいえ、ネット上に一応公開しているわけだし。

もしどこかで誰かが読んでいたとしたら…

頭の片隅にはその意識を持っておかないと、文章を書くのが上手にならないのでは?

と思ったり。







とにかく。

つぶやき並みに短くてもいいから、できるだけ頻度を落とさずにまずは続けたいと改めて意思表示しておきます。

頼んだぞ自分。






ではでは。


抗う

しばらく更新していなかったので、危機感に苛まれて書きます笑


昨夜の『アメイジングスパイダーマン2』、これまでに何度か観ていたのですが、今回は終盤だけ観れました。

やっぱり最後の小さい男の子がスパイダーマンの格好をして、ヴィランに立ち向かおうとするシーンで泣いちゃうんですよね。


ヒロインのグウェンが死んでしまい、主人公も僕ら視聴者も絶望に叩きつけられて、戦意喪失してしまう。そんな中、なんの力もないかもしれない小さな一人の男の子が、警官や大人たちの制止を振り切って敵の前に飛び出して行くんですよ。

ちゃんと戦えるかな?太刀打ちできるかな?

ではない。

立ち向かおうとするか、抗えるか、自分と向き合えるか

なんだと思い知らされます。


このシーンが大好きです。



映画を観て、先日アプリに残したメモを思い出しました。

心が荒んでいたときに書いたので、くさい文章ですが。

恥ずかしいけど、このブログは自分の気持ちの整理を目的にしているのであえて載せます。



周りの環境のせいにしてるけど、自分を縛り付けてるのは結局自分や。

その惰性の川に自ら飛び込んでおいて、「流れが強すぎて溺れる」とか吐かす(ぬかす)。本当は溺れそうなわけじゃなくて、死なない程度に溺れかけているフリしているだけ。
川岸から浮き輪を投げてパスしてくれようとしている人がいるのに、それを拒む。受け取ってしまったら、足をバタバタと泳がないといけない。溺れるフリして実は何もしていないというのが楽だったのに。


コピペしました。
溺れない程度に流されているのが一番楽なんですよね。
でもやっぱり抗うことが大事なんだと改めて気づかされました。


映画の話に戻ると、アメイジングスパイダーマンと同じくマーク・ウェブ監督の『(500)日のサマー』
この映画も好きで。
わりと前半キュンキュンさせられる恋愛映画なんですけど、全体を通して恋愛がメインテーマというより、それがきっかけで主人公が流される人生にケリをつけて、かつての夢を再び追いかけ始めるという物語なんですよね。

このブログを書いている最中にこの作品のことも思い出しました。
また観たいなあ。




最近仕事のこと、将来のことで悩みっぱなしだけど、もすこしだけ、抗ってみようかな。












今回はこのへんで。

ではでは!







画面の中に囚われている

今回は短めで終わると思います。いつも短いけど。


将来に対して漠然と不安な気持ちを抱くことがあるけど、結局何をどうしたらいいのかわからない。何から手をつけたらいいのかわからない。そして考えるのをやめる。

結果また惰性の日々に戻ってくる。


これを何回も繰り返している気がします。


この発言がきっかけで自分の中で何か変わるのかどうか。

自信はないけど、忘れないためにとりあえずここに書いておきたい。


画面の中に囚われている

というタイトル。ここでいう画面は、僕の場合スマホのそれですね。

怠惰な毎日を過ごしていると反省しているわりに、怠惰な生活の大半を画面に囚われて過ごしているなと。

そしてこのブログもスマホで書いてます…(^^;


将来今の仕事をいつまで続けているんだろう。そして何かやりたいことは見つけられるんだろうか。

そんなことをふと考えて、これもまた結論が出ず考えることを辞めちゃうのですが。




ただ今日少しヒントを見つけました。

将来に不安を感じるなら、過去を一度振り返るといいらしい、ということ。


あ、上記の今回は短いという言葉は撤回します笑


話を戻すと、過去に自分の嬉しいと思えたこと、幸せを感じた出来事は何かを振り返る。

そのとき感じたものが自分の根底にある一番の欲求、願望なんだとか。


うまく説明できませんがそうらしいです。


過去最高に幸せを感じた出来事なんかすぐには思い出せそうもありません。

でも今回は考えるのを途中で辞めたくない。だからこのブログを書くことで自分の意識に強く刻みこんでおきたい。




今回はこの辺りで。


振り返って何か見つかれば、また書きたいと思います。


戻ったり進んだり、立ち止まったり。

バックトゥザヒューチャー。






ではでは!