画面の中に囚われている

今回は短めで終わると思います。いつも短いけど。


将来に対して漠然と不安な気持ちを抱くことがあるけど、結局何をどうしたらいいのかわからない。何から手をつけたらいいのかわからない。そして考えるのをやめる。

結果また惰性の日々に戻ってくる。


これを何回も繰り返している気がします。


この発言がきっかけで自分の中で何か変わるのかどうか。

自信はないけど、忘れないためにとりあえずここに書いておきたい。


画面の中に囚われている

というタイトル。ここでいう画面は、僕の場合スマホのそれですね。

怠惰な毎日を過ごしていると反省しているわりに、怠惰な生活の大半を画面に囚われて過ごしているなと。

そしてこのブログもスマホで書いてます…(^^;


将来今の仕事をいつまで続けているんだろう。そして何かやりたいことは見つけられるんだろうか。

そんなことをふと考えて、これもまた結論が出ず考えることを辞めちゃうのですが。




ただ今日少しヒントを見つけました。

将来に不安を感じるなら、過去を一度振り返るといいらしい、ということ。


あ、上記の今回は短いという言葉は撤回します笑


話を戻すと、過去に自分の嬉しいと思えたこと、幸せを感じた出来事は何かを振り返る。

そのとき感じたものが自分の根底にある一番の欲求、願望なんだとか。


うまく説明できませんがそうらしいです。


過去最高に幸せを感じた出来事なんかすぐには思い出せそうもありません。

でも今回は考えるのを途中で辞めたくない。だからこのブログを書くことで自分の意識に強く刻みこんでおきたい。




今回はこの辺りで。


振り返って何か見つかれば、また書きたいと思います。


戻ったり進んだり、立ち止まったり。

バックトゥザヒューチャー。






ではでは!


うちわが邪魔

数日前、「うちわ」という言葉が頭に浮かんだきり離れてくれなくて、「ハリセン」という単語が思い出せなくなりました。


一つの単語から別の言葉が連想されることもあれば、逆に今回のように似た単語が頭の中で邪魔をして、一番思い出したい言葉がすぐに浮かばないパターンもあるんだなと、気づいたというか発見したというか。

これわかってもらえるかな?




それはさておき、いやこれもさておきたいのだけど、

今僕は定期的に訪れる仕事イヤイヤ病にかかっている状態です。

数日したら治るとは思うのですが、この状態に陥ったとき、どうするのが正解なんでしょうか。

僕なりにこれまで行ってきたのは、「その気になればいつだって辞めてやる!」と、あえて開き直ることですね。口には出しませんけど。

そうして転職サイトを半ば真剣に巡ってみたり、転職経験者の方のブログを読んでみたりして、自分が本当に仕事を辞めた後のことを色々想像してみます。

それを数日間ずっと続けているうちに、通常は段々イヤイヤ病の症状が軽くなってくるんです。


そのはずが、今回はなかなか軽くならない…

しかもそのせいか些細なことですぐイライラしてしまったり、悪化している気もする…




そして数日経った今(この記事も下書きを途中で数日放置してました…)、考えることから少し逃げてしまっていたので、自分の中でもやもやとイライラが増幅する一方です。治る目処が立ちません。


冷静に身の回りの状況を考えれば、仕事を辞めるべきではないことはわかるし、転職するといっても、じゃあ何の職に就きたいかというビジョンがあるわけでもない。

同時に、なぜ我慢する必要があるのか、続けるにして、定年まで今の会社で働く気がそもそもあるのかと自問すると、答えが出せない自分もいて。


感情と理性の折り合いがつかない。



同じような悩みを抱えている人はたくさんいるんだろうけど、みんかどうやって結論を出しているんだろう。

何の迷いもなく、よそ見もせず突っ走る誰かの姿を見て、格好いいと羨望の念を抱きつつも、嫉妬してしまう。そしてそんな自分に嫌気がさす。


嫌気がさすの “さす” って “差す” でよかったかな?ですよね?




文章を書いている最中に話がころころ変わっていますね。(^^;

これ以上に僕の頭の中は今ぐちゃぐちゃになってカオス状態です。 


自分の気持ちの整理をするためのこのブログですが、まだまだ整理整頓を終えるまでには時間がかかりそうです。

気長にやっていきましょう(なぜかひとごと)



そういえば、“他人事” を “たにんごと”と読む人が案外多いそうで。なんかの動画で見ました。

もしこのブログを読んでくださっている人がいるとしたら、“他人事” なんて読んでますか?





終わりが見えなくなりそうなので、今回はこの辺りで。





ではでは!





塗れる

「塗れる」って書いて、「まみれる」って読むんですね。


何に塗れているかというと、言葉 ですね。言葉遣い、書き言葉も話し言葉も。


ネットのニュースとか、掲示板とかSNSとか、色んな言葉が飛び交っているけど、そこにのめり込みすぎているのかなと。

のめり込むこと自体は悪いことでないにしても、そこにある様々な汚い言葉に塗れ過ぎているとふと気づいて。

語彙力を高めることは必要でも、身につけるべきでない言葉、単語ばかりが頭に残っている。気がついたら会話の中でそれを口にしている。


急に危機感を覚えました。


このブログを少しずつ続けていく中で、自分の言葉で話す、書く、伝えるということの訓練をしたいという思いがあります。


染められるのは癪ですし。キチャナイものは。

自分の好きな色を纏いたいですよね。キレイなのがいい。どうせなら。


質の高いものをインプットするよう心がけるべきなのかな?

でも、偏るのも良くない気もする…趣味が狭まるし。


まあその辺は悩んでも仕方ないので、程々に取捨選択しましょうか。




現状の把握と気持ちの再確認でした。





ではでは!

把握できてない

意欲があるうちに更新しようと思いました。

こんにちは。


誰に向けての挨拶なのかよくわからないけど




把握できてないんじゃないかなーと思いまして。

何かというと、前回書いたチカラの使いようの話の続きです。

チカラの使い方を考える以前に、自分にどんなチカラがあるのか把握できてない気がしてきました。

いくつかピックアップしてみても、どれも自信を持って言えるレベルに達しているかというと違うような…


なんかフワフワしておりますが。



この話はもうやめにしよう。

まだまだ成長する伸びしろがあると、いい風に解釈することにします!


何か特別落ち込むようなことが最近あったわけでもないのに、ブログではなぜかこう暗い?話ばかり書きたくなると反省。

なのでこの話はおわり。


自分の心を安定させるためにも、ポジティブなことも書いてみましょうか。


ポジティブ…

最近になってようやくブログを書くようになって、自分が普段考えていることや気持ちの整理をできるようになったかなとは思います。

仕事でも、それ以外でも、ニュース見てるときなんかでも、「それはおかしいだろ」とか「なんか腹立つなー」とかもやもやした気持ちになることが最近多くて、でも自分でそれがどんな感情なのか説明できなくて…

それを解明するためにこのブログを始めたのかもしれません。


今後もこのブログは暗い内容ばかりになる気もしますが、それはそれでいいのかな。SNSで暗いことばかり呟いてると周りに気遣いますし。


そういえば

以前ネットの記事で見た、文章を習慣的に書くことのメリットというのがありまして。


「書くことで人格がより良くなる」といったことが書かれていたんです。


例えると、啓発的なこと、自分や同じ悩みを持つ人々に向けてのメッセージのような内容なのかな。そういう「良いこと」を文章にしていると、文章の内容と現実の自分とのギャップをなくそうとして、普段の立ち振る舞いが良い方向に変化するらしいです。


これを読んでなるほどなーと思い、暗い話になりがちな自分は、自身を元気付けるための文章も書くべきだなと思いました。

誰かのブログや本を読んで励まされるのももちろんアリだし、自分で心の中の自分と対話して、「こうしたら今後よくなるんじゃない?」的な考えの整理をしたいですね。

 


今途中で読み返してみたら、話の方向があっち行ったりこっち行ったりしてますね^^;


考えの整理をしたいのに、文章が整理されてなくてぐちゃぐちゃだ。


これ以上は混沌に陥りそうなので、一旦終わりましょうか。


結局ポジティブな話できていない?


まあいいや




ではでは!



チカラの使いよう

登録だけしておいて、ずっと放置していたこのブログ。

今回が初めての投稿です。


通勤の道中、こんな妄想をしていました。


予知能力を授かったら。

例えば、数分後に今いる道の先で事故が起こることを知ることができて、すぐに行動を起こせば事前に防げるとして、本当に僕はそのとき行動を起こせるのだろうか?


「僕は」と書いたけど、主語は誰でもいいです。この場合、誰しもが行動を起こせるとは思えない。怖くて身体が動かなくなる人もいるだろうし。自分の予知したことが現実に起こると、最後まで信じきれないなんてこともあるんじゃないかな。


僕はアメコミが好きです。映画を観ていると、特殊能力を得た主人公は、何かきっかけはあるにしても、みんな2時間の上映時間の中で、あっという間にヒーローになる決意を固めて行動していきます。

でも現実では?特殊な能力を授かれば誰でもヒーローになれるわけじゃないし、なりたいと思うわけではないのか。

となんとなく考えました。


ただ別に、特殊能力に当てはめる必要もなくて。


混雑した電車の中で、高齢者に席を譲る人譲らない人。

気分が悪そうな人に声をかける人素通りする人。



些細なことだけどこれもおんなじだと気づいた。



ここから仕事のことも少し連想。


失礼を承知でいうと、職場の先輩で能力があるのにそれを発揮しない人がいます。仕事に対して明らかに意欲がない。業務をこなすスピードは元々速いはずなのに、あまりそれをやらない。

ニュアンスが違う気もするけど、これも「チカラの使いよう」の一つのパターンなのかなと。



まとめると、せっかくチカラを持っていても、使う人間の気持ちや置かれた立場次第で使い方や加減が変わるのかなということでした。


僕自身、人格的なところはまだまだ未熟だけど、ここ2年くらいは仕事においていい速度で成長できている自負がありました。(今そのペースが落ちてきているけど)


成長できて得たそのチカラをちゃんと使いこなせるようになりたい。そのための心の整理をしたいなと考えております。




こんな感じかな。

拙い文章ですが。





ではでは!