塗れる

「塗れる」って書いて、「まみれる」って読むんですね。


何に塗れているかというと、言葉 ですね。言葉遣い、書き言葉も話し言葉も。


ネットのニュースとか、掲示板とかSNSとか、色んな言葉が飛び交っているけど、そこにのめり込みすぎているのかなと。

のめり込むこと自体は悪いことでないにしても、そこにある様々な汚い言葉に塗れ過ぎているとふと気づいて。

語彙力を高めることは必要でも、身につけるべきでない言葉、単語ばかりが頭に残っている。気がついたら会話の中でそれを口にしている。


急に危機感を覚えました。


このブログを少しずつ続けていく中で、自分の言葉で話す、書く、伝えるということの訓練をしたいという思いがあります。


染められるのは癪ですし。キチャナイものは。

自分の好きな色を纏いたいですよね。キレイなのがいい。どうせなら。


質の高いものをインプットするよう心がけるべきなのかな?

でも、偏るのも良くない気もする…趣味が狭まるし。


まあその辺は悩んでも仕方ないので、程々に取捨選択しましょうか。




現状の把握と気持ちの再確認でした。





ではでは!

把握できてない

意欲があるうちに更新しようと思いました。

こんにちは。


誰に向けての挨拶なのかよくわからないけど




把握できてないんじゃないかなーと思いまして。

何かというと、前回書いたチカラの使いようの話の続きです。

チカラの使い方を考える以前に、自分にどんなチカラがあるのか把握できてない気がしてきました。

いくつかピックアップしてみても、どれも自信を持って言えるレベルに達しているかというと違うような…


なんかフワフワしておりますが。



この話はもうやめにしよう。

まだまだ成長する伸びしろがあると、いい風に解釈することにします!


何か特別落ち込むようなことが最近あったわけでもないのに、ブログではなぜかこう暗い?話ばかり書きたくなると反省。

なのでこの話はおわり。


自分の心を安定させるためにも、ポジティブなことも書いてみましょうか。


ポジティブ…

最近になってようやくブログを書くようになって、自分が普段考えていることや気持ちの整理をできるようになったかなとは思います。

仕事でも、それ以外でも、ニュース見てるときなんかでも、「それはおかしいだろ」とか「なんか腹立つなー」とかもやもやした気持ちになることが最近多くて、でも自分でそれがどんな感情なのか説明できなくて…

それを解明するためにこのブログを始めたのかもしれません。


今後もこのブログは暗い内容ばかりになる気もしますが、それはそれでいいのかな。SNSで暗いことばかり呟いてると周りに気遣いますし。


そういえば

以前ネットの記事で見た、文章を習慣的に書くことのメリットというのがありまして。


「書くことで人格がより良くなる」といったことが書かれていたんです。


例えると、啓発的なこと、自分や同じ悩みを持つ人々に向けてのメッセージのような内容なのかな。そういう「良いこと」を文章にしていると、文章の内容と現実の自分とのギャップをなくそうとして、普段の立ち振る舞いが良い方向に変化するらしいです。


これを読んでなるほどなーと思い、暗い話になりがちな自分は、自身を元気付けるための文章も書くべきだなと思いました。

誰かのブログや本を読んで励まされるのももちろんアリだし、自分で心の中の自分と対話して、「こうしたら今後よくなるんじゃない?」的な考えの整理をしたいですね。

 


今途中で読み返してみたら、話の方向があっち行ったりこっち行ったりしてますね^^;


考えの整理をしたいのに、文章が整理されてなくてぐちゃぐちゃだ。


これ以上は混沌に陥りそうなので、一旦終わりましょうか。


結局ポジティブな話できていない?


まあいいや




ではでは!



チカラの使いよう

登録だけしておいて、ずっと放置していたこのブログ。

今回が初めての投稿です。


通勤の道中、こんな妄想をしていました。


予知能力を授かったら。

例えば、数分後に今いる道の先で事故が起こることを知ることができて、すぐに行動を起こせば事前に防げるとして、本当に僕はそのとき行動を起こせるのだろうか?


「僕は」と書いたけど、主語は誰でもいいです。この場合、誰しもが行動を起こせるとは思えない。怖くて身体が動かなくなる人もいるだろうし。自分の予知したことが現実に起こると、最後まで信じきれないなんてこともあるんじゃないかな。


僕はアメコミが好きです。映画を観ていると、特殊能力を得た主人公は、何かきっかけはあるにしても、みんな2時間の上映時間の中で、あっという間にヒーローになる決意を固めて行動していきます。

でも現実では?特殊な能力を授かれば誰でもヒーローになれるわけじゃないし、なりたいと思うわけではないのか。

となんとなく考えました。


ただ別に、特殊能力に当てはめる必要もなくて。


混雑した電車の中で、高齢者に席を譲る人譲らない人。

気分が悪そうな人に声をかける人素通りする人。



些細なことだけどこれもおんなじだと気づいた。



ここから仕事のことも少し連想。


失礼を承知でいうと、職場の先輩で能力があるのにそれを発揮しない人がいます。仕事に対して明らかに意欲がない。業務をこなすスピードは元々速いはずなのに、あまりそれをやらない。

ニュアンスが違う気もするけど、これも「チカラの使いよう」の一つのパターンなのかなと。



まとめると、せっかくチカラを持っていても、使う人間の気持ちや置かれた立場次第で使い方や加減が変わるのかなということでした。


僕自身、人格的なところはまだまだ未熟だけど、ここ2年くらいは仕事においていい速度で成長できている自負がありました。(今そのペースが落ちてきているけど)


成長できて得たそのチカラをちゃんと使いこなせるようになりたい。そのための心の整理をしたいなと考えております。




こんな感じかな。

拙い文章ですが。





ではでは!